尾崎清忠君を偲んで              

 令和3年5月2日悲報が届いた。
3月頃に尾崎君から電話ありステージ4のガンだったと告げられ仰天した。本人の大したことない口ぶりにまた驚いた。

 尾崎君との出会いは1979年、松山の広告制作会社 JCCであった。モノクロの紙焼きがメインの仕事だったが、1年先輩の彼は紙焼きのスピードがとても速かった。当時どこの制作会社も不夜城、今では考えられない仕事量をこなしてた。指定された仕事が終われば帰れるが、定時に帰れたのは私が入社1日目のその日だけだった。彼がその日に見せた笑顔の理由が後で分かった。毎日仕事地獄が続き僕の体重も減った。

 よく2人で関西方面へ夜行フェリーで出かけて行き、松山では見られない触れない高級機材を拝みに出かけた。あれやこれやで写真家の夢を妄想して楽しんでた。

 愛媛で広告プロ写真家として僕達がデビューしたのは第3世代で4人ほどでした。
桜田氏、尾崎氏、畦地氏、宮本、4人の年齢が近くお互いは何かと意識して、ライバル心も強かった。しかし、尾崎君だけは、表向きそれが無かったし感じさせなかった。

 仕事が無い時にはよく二人で喫茶店に行った。このモデルの照明角度はどうだ、ディフューザーは何だ、照明比はどうだとプロ駆け出しなのに生意気に語り合ったことを思い出す。こんな狭い愛媛の中であの時ならではの考察初号期だったと思う。もしやこれが青春だったのか。

 20代中頃に、「おバカ3人組」で写真展をやろうと誰かが言い出した。桜田君、尾崎君、宮本、各自の写真だけではつまらないから、共通テーマを作り競争する企画をたてた。テーマはワイングラス。同一の3個のワイングラスを素材に各々撮影した。各自どう料理するのかワクワクした。ラフォーレ原宿松山で開催したが、作品内容がカブらない様に留意しながらも、仲良しとは言え意地でも他を超えたい気持ちが見え隠れし火花を散らした。 桜田氏はスタジオセットでの商品撮影。尾崎氏はオブジェクト作品で彼らしい作品だった。作りの中に少し絵画的要素を感じた。 僕は自然を背景にロケ撮影で作品展示を行った。
3人展での撮影秘話は、一部始終 笑える話がたくさん有るのだが話が長くなるので割愛させていただく。

 何年かのち、 愛媛写真家協会へ3 人同時に入会した。1人で入会するほど勇気はなく、おバカ3人組で一緒に入会すれば注目度も少なくてすむと話し合った。桜田君も誘い仲良く3人 で入会する事ができた。
尾崎君は愛媛写真家協会の他にも愛媛デザイナ協会、また徳島県在住の米津氏紹介で日本広告写真家協会に所属。酒は飲まないが宴席には必ず出席する、付き合いのいい人柄であった。僕から見れば酒も飲めないのに何が楽しいのかと思い理由を聞いた事がある。「人を観察するのが何より楽しい」と尾崎君が話してくれ妙に納得した。彼は人付き合いが良く、誰のところへも1人で出かけて行った。自分の意見はあまり話さないが相手の話を引き出し知恵にするのが上手だった。彼にとって他者との垣根はほぼないと言ってよく、僕みたいな頑固もんと比較すると羨ましい限りだった。

 時間は前後するが、尾崎氏と桜田氏との関係は松山デザイン専門学校からの同級生。皆、カメラマンになつている同期の戦友関係と言える。

 最後に、友があまりにも早く旅立って行き残念で仕方ない。

2021年 秋

宮本 正